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2022/12/02 20:00
前回お話しいた通り、今回は鎌倉時代と戦国時代の北条氏についてお話ししようと思います。
まずは鎌倉時代の北条氏
鎌倉幕府の執権(将軍の補佐)として幕府の実権を握っていました。
しかし鎌倉幕府の滅亡と共に北条氏も滅亡しています。
そして戦国時代の北条氏
鎌倉時代の北条氏と区別するため後北条氏とも言われます。
戦国時代の「後北条氏」の祖は北条早雲(伊勢宗瑞)で、もともとは室町幕府の家臣の伊勢氏の出自とされています。
元々関東とは関係ない土地出身なのですが、いろいろあり関東で伊豆や相模を手中に収めていきます。
ですがよそ者である彼を嫌うものも出てきます。
その為北条早雲(伊勢宗瑞)の息子・氏綱が北条の性を名乗り始めたのです。
鎌倉幕府の執権であった北条の名前を使って自分達を正当化したわけですね。
つまり鎌倉時代の北条家と戦国時代の北条家は別の家なのです。
では全く関係ないのかというとそうでもありません。
後北条氏が北条性を名乗りたくても急に苗字を変えても当然誰も信用しません。
そこで北条氏綱は、横井相模守の娘を正室に迎えました。この娘は鎌倉北条家の血を受け継ぐ女性で、彼女を妻にしたことで、北条性を名乗ることに正統性を持たせたと言われています。
まとめると、「鎌倉時代と戦国時代の北条家は別の家だが、ちょっとだけ血は繋がっている」と言うことになります。