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2023/03/14 18:00
【天下三名槍】をご存知でしょうか?
戦国時代の有名な3本の槍の事です。その3本とは、「御手杵(おてぎね)」「日本号(にほんごう/ひのもとごう)」「蜻蛉切(とんぼきり)」の事です。元々は「西の日本号、東の御手杵」と呼ばれていましたが、明治時代に「蜻蛉切」が追加され現在の「天下三名槍」となりました。
「御手杵(おてぎね)」
下総国(しもうさのくに:現在の茨城県)の「結城晴朝」(ゆうきはるとも)が作らせた槍です。
結城城(ゆうきじょう)の城主として知られる戦国武将で、徳川家康の次男「結城秀康」(ゆうきひでやす)の養父です
名前の由来は、倒した敵の首十数個を愛槍に突き刺し担いで帰城している途中、首級がひとつ落ちてしまったそうです。
その槍の姿が「手杵」(てぎね)のように見えたため、手杵形の「鞘」(さや)を付けた。この鞘の形状から御手杵と呼ばれるようになりました。
東京大空襲で焼失した為現存しませんが、レプリカが結城市内にある「結城蔵美術館」にて展示されています。
「日本号(にほんごう/ひのもとごう)」
元来皇室が所蔵していましたが、「正親町天皇」より室町幕府15代将軍「足利義昭」に下賜されました。その後は、織田信長経て豊臣秀吉の手に渡り、秀吉に仕えた福島正則の手に渡り、最終的に黒田家の家臣・母里友信(もりとものぶ)が所有しました。
「福島正則」から「母里友信」の手に渡るの逸話は黒田節で謳われています。話の内容を簡単に説明すると、二人が飲み比べをし、その結果「日本号」を譲り受けたという内容です。このため別名で「呑み取りの槍」とも呼ばれています。
現在は「福岡市博物館」で常時展示されています。
「蜻蛉切(とんぼきり)」
徳川家に仕えた戦国武将、「本多忠勝(ほんだただかつ)」が愛用した名槍としても有名。
その切れ味は、槍先に止まった蜻蛉(とんぼ)が、そのまま真っ二つに切れてしまったという逸話が存在するほどで、「蜻蛉切」という名前の由来にもなっています。
静岡県にある美術館「佐野美術館」では、「蜻蛉切」の特別展示会も定期的に実施されています。