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2023/03/16 18:00

「徳川四天王」とは「徳川家康」に仕え、最も重用された4名の戦国武将のことを指します。

徳川四天王は、酒井忠次(さかいただつぐ)・本多忠勝(ほんだただかつ)・榊原康政(さかきばらやすまさ)・井伊直政(いいなおまさ)の4人。元々は井伊直政、榊原康政、本多忠勝が上洛した際に、彼らが「徳川三傑」と呼ばれており、いつの頃からか最古参の家臣である酒井忠次を加えた4名が、徳川四天王と呼ばれるようになったとされています。

酒井忠次(さかいただつぐ

最古参の家臣。今川家の人質から家康に仕えた武将。非常に忠義深く「三河一向一揆」では、酒井氏の親族が一揆側に付いたのに対し家康側に付き従って戦い、その忠義深さを示しています。

本多忠勝(ほんだただかつ)

「戦国最強」ともいわれる猛将。生涯に亘る57回の戦闘で、かすり傷ひとつ負わなかったと言われています。
本多忠勝が愛用していた槍は、天下三名槍のひとつに数えられる槍「蜻蛉切」。


榊原康政(さかきばらやすまさ)

武勇では本多忠勝に劣るものの、部隊の指揮官としては井伊直政と並ぶほど優れていたと伝えられています。

家康の合戦のほとんど全てに従軍している。豊臣秀吉に10万石の懸賞金をかけられたこともあるほど、豪胆な人柄であったとされる。


井伊直政(いいなおまさ)

「井伊の赤鬼」と恐れられるほどの猛将。「赤備え」という全身の武装を赤一色で揃えていました。戦場で一際目立つ赤色は、武勇に秀でた象徴とされ、多くの敵軍を恐れさせました。一方で外交でも活躍し、軍事・外交の双方で家康を支えました。